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この日は、奥志賀高原からスクールのマイクロバスで、横手山方面に向かいました。
陽坂(横手山ゲレンデの一番下のリフトの終点付近)に駐車して、
渋峠・横手山キングコースでカーヴィングターンのレッスンでしたデス
ここ横手山の頂上にあるレストハウスには、
渋峠に行く前と昼食時に、2回訪れましたデス。
お天気が良くて久しぶりに、北アルプスを眺められましたデス。
スクールで大変に人気があって、
中々指導してもらえないインストラクターによる、カーヴィングターンの極意レッスンが大変に意義がありましたが、
滅多に見られない、北アルプス:白馬三山・後立山・裏銀座・表銀座・槍~穂高等の絶景眺望が出来たことに、大変に感激でしたデス。
画面左側の白い大きな山は、乗鞍岳ですネ。
4シーズンぶりのスキー3-3:2023年4月中旬志賀高原山スキー行3
横手山満天ビューテラスから北アを望む3
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画面中央に槍ヶ岳で、その左側が穂高岳連峰です。
槍ヶ岳の右側は、表銀座コースでしょうね。
4シーズンぶりのスキー3-3:2023年4月中旬志賀高原山スキー行3
横手山満天ビューテラスから北アを望む2
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右端に槍ヶ岳(小槍らしきが、少し見えている)、
中央の大きい鞍部が大キレット、
白い二つのピークが北穂高岳、黒い涸沢岳、巨大な奥穂高岳。
多分、奥穂高岳の手前に常念岳が重なって見えているようですネ。
奥穂高岳の左側の黒い前穂高岳と北尾根は、ここからだと真正面なので重なって見えるようで、
判別・同座が難しいでしたデス。
4シーズンぶりのスキー3-1:2023年4月中旬志賀高原山スキー行1
横手山満天ビューテラスから北アを望む1
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ズ-ラシア。
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ズ-ラシア、バードショー。
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ズ-ラシア、バードショー。
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5/15(月)は、午後スキーレッスンの予定でした。
生憎の雨の為、古刹の慈恩寺見学と柳川温泉入浴でしたデス。
山門と本堂は、修復中でしたデス。意外に、歴史のある古刹でした。
内部・仏像等は、撮影禁止デス。外観等は、撮影し甲斐がありますネ。
本堂にボランティアの方がいて、色々と説明して頂いたので、楽しかったでしたデス。
以下、慈恩寺のHPから引用デス。
本堂(国指定重要文化財)
境内の中で最も古い建物。元和4年(1618年)山形城主最上氏による再建から400年を経て、桃山時代の様式や重厚な茅葺(かやぶき)屋根を今に伝えています。再建当時裏山に群生していたヒメコマツを使った66本の柱は、日本60余州を表したものといわれています。外陣天井には竜や天女が描かれ、本尊弥勒尊(ほんぞんみろくそん)ほか秘仏33体が内陣の宮殿に安置されています。
4シーズンぶりのスキー4-20:2023年5月初めての月山スキー行20
慈恩寺にて
※ 5月初めての月山
をHP右上の検索欄にペーストされて、検索されると、
一連の画像が連続してごらんになれます。
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#60067 の山門の右側だったか、左側だったか記憶不確かです。
4シーズンぶりのスキー4-19:2023年5月初めての月山スキー行19
慈恩寺にて
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#60066の仁王像の足に太い血管が浮き上がるように彫られていましたデス。
4シーズンぶりのスキー4-18:2023年5月初めての月山スキー行18
慈恩寺にて
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内部に干支に因んだ十二神将像が、展示されています。
以下、慈恩寺のHPから引用デス。
薬師堂(市指定有形文化財)
現在の本堂より500mほど東に東院(とういん・上の寺)として薬師寺及び聞持院(もんじいん)が築造されていました。薬師寺には薬師三尊と十二神将が祀られ、また聞持院には虚空蔵菩薩が安置されていました。薬師寺は零落し聞持院に合併されたものの、江戸時代初め頃までには聞持院も廃寺となり、寛永13年(1636)、薬師三尊と十二神将は現在の本堂近くに移されました。元禄5年(1692)に薬師堂が再建され、今に至ります。
4シーズンぶりのスキー4-17:2023年5月初めての月山スキー行17
慈恩寺にて
※ 5月初めての月山
をHP右上の検索欄にペーストされて、検索されると、
一連の画像が連続してごらんになれます。